2008-07-02 23:20:00
諸葛亮のいわゆる「第二次・第三次北伐」について [ 余滴 ]
渡邉義浩〔著〕『「三国志」軍師34選』(PHP研究所 PHP文庫 2008年)191頁には、次のようにある。
第二次北伐は、郝昭の守る陳倉を攻撃しましたが陥落せず、曹真の援軍が押し寄せたため兵を引きました。ただ、これは武都郡・陰平郡を攻めていた陳式のための陽動作戦でした。退却の際、曹真の先鋒である王双を倒した諸葛亮は、陳式を迎え撃った郭淮を退け、二郡を手に入れます。これを第三次北伐といいますが、第二次北伐とは一連の戦役です。
この文章を見ると、渡邉先生は諸葛亮の陳倉攻撃を陳式のための陽動作戦とされているが、史料を読む限り、諸葛亮軍と陳式軍のどちらが陽動軍であったかは判然としないと考えるので、ここまでは断言はできないと筆者は思ってしまう。両方とも「主要部隊」であり「陽動部隊」でもあったという可能性を考えた方が良いと思うのだが、どうだろうか。
ただ、戦役の時期から見ると、渡邉先生のおっしゃるように、この第二次・第三次北伐が連動した戦いであった可能性は高いだろう(もちろん、全く関係がなかった可能性もあるにはあるが、そのような見解を強調することは難しいと思う)。管見の限り、これまでの書籍では(拙著もふくめて)このような記述はないので、非常に有益な指摘だと考えている。
注)
ご覧になる方の環境によっては、「葛」の字が本来の字と異なってしまうこともあるかと思いますが、ご容赦ください。
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