2008-04-29 02:00:00

『孔明と仲達 天才と英才の対決』 [ 諸葛孔明関連書籍等紹介 ]

松本一男〔著〕『孔明と仲達 天才と英才の対決』
  (PHP研究所 1992年 ISBN 4-569-53719-7)

 本書は「諸葛孔明と司馬仲達の生涯の軌跡を今日的な視点でとらえ、かれらたち(ママ)の生き方から教訓を導きだ」(本書1頁 まえがき)し、歴史を忠実に描写してどちらが勝ったのかをえがきたいと考えてまとめられたもののようである(本書1〜3頁 まえがき参照)。
 内容を見ると、各章で両者の生い立ち、出仕の経緯、待遇の違い、性格と思想、戦略と戦術について述べ、対決の様子を概説した上で、彼らの戦略を比較している。さらに、彼らから今日でも通用する教訓を導き出そうとしており、最後に二人を比較すると司馬懿が勝者であるとしている。
 著者は「歴史に忠実でありたい」(本書3頁 まえがき)と述べられているが、どうも筆者にはそのように思えない箇所が多い。第五章で諸葛亮の得意な戦法として火計を挙げ、実例として赤壁の戦いで火計を狙うも東南の風が吹かないことに悩む周瑜に、諸葛亮がその悩みの原因を指摘し、二人で火計作戦を検討したことを挙げており、さらに南蛮攻撃の際に籐甲軍への火計、北伐の際の葫蘆谷での司馬懿への火計も列挙している(本書103〜108頁)。しかし、これらは全て『三国志演義』の中での話であって、歴史書『三国志』にはない。同様の例として、諸葛亮の奇智計略として周瑜から吹っかけられて十万本の矢を集めようとして成功する話も挙げられている(本書111〜113頁)が、当然のように史実ではない。このような例は枚挙に暇がないが、著者はフィクションだと分かった上で、引用されているものもあるようである(本書110頁)。著者は歴史書『三国志』のみならず小説『三国志演義』も「歴史」だと考えておられるのであろうか?
 また、著者は軍事上の対決では諸葛亮ではなく司馬懿を「勝者」としている(本書229〜230頁)。蜀漢の北伐の戦略目標や魏の防衛目標からすると、この指摘は正しい。著者が強調したいのは「好きとか嫌いとか、あるいは人気のあるなしは、勝負とは全然関係ない」(本書229頁)ということらしい。それもごもっともなのだが、著者のおっしゃっていることは、特別に述べなくとも歴史書を読めば理解できることである。それほどまでに強調すべきことなのだろうか?
 しかも、著者は

歴史は人の主観や好みには関係なく、つねに客観的であるのだ。(本書229頁)

と述べておられるが、これは言いすぎであろう。E.H.カー〔著〕清水幾太郎〔訳〕『歴史とは何か』(岩波書店 岩波新書 1962年初版)を引用するまでもなく、歴史書を読む際に(その歴史書が事実に基づいていたとしても)歴史家の持つ主観性が入り込んでいることを考慮しなければならないのは間違いない。陳寿『三国志』も西晋の皇帝に「配慮」しながら書かざるを得なかったのである。
 そもそも、歴史から現代のビジネスに役立つ教訓を導き出すことが、そんなに簡単にできるのだろうか?歴史を学ぶ際には、できるだけ当時の語彙や考え方を理解した上で史料を読み込み、そこから浮かび上がってきたものを把握していくことが重要であろう。歴史を見る際に、現代の我々からの視点も大事ではあろうが、現代の価値観・倫理観を簡単に適用することは避けなければならないのである。
 ここまで述べてきたことを考慮すると、著者の歴史に対する姿勢に疑問を感じずにはいられないのである。

おススメ度:★★☆☆☆

注)
ご覧になる方の環境によっては、諸葛の「葛」の字が本来の字と異なってしまうこともあるかと思いますが、ご容赦ください。

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