2008-09-05 09:25:00

インタビュー記事掲載 [ 大三国志展 ]

 本日(2008年9月5日)の聖教新聞関西版に、「大三国志展」見どころ解説として「大三国志展学術アドバイザー」である私へのインタビュー記事が掲載されました。ご覧いただければ幸いです。

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2008-08-29 01:02:00

『帝国のシルクロード 新しい世界史のために』 [ 『三国志』関連書籍等紹介 ]

山内昌之〔著〕『帝国のシルクロード 新しい世界史のために』
  (朝日新聞出版 朝日新書 2008年 ISBN 978-4-02-273225-5)


 本書は『週刊朝日百科・シルクロード紀行』に連載されたエッセイなどをまとめたものであり、書名も『週刊朝日百科・シルクロード紀行』の連載タイトルからとられたとのことである(本書258頁「おわりに―アジアゲートウェイの未来に向けて」参照)。ここでは、本ブログの趣旨に沿って第3部・6の「『三国志』、秘数三と裏設定」について述べていきたい。ちなみに、この文章の初出は横山光輝〔著〕『愛蔵版三国志』第3巻(潮出版社 2007年)とのことである。
 この項では、まず「日本人に限らず『三国志』の人気が高いのは、ストーリーや人物が「三」という数字にからんでいる点と無関係ではないだろう」(本書208〜209頁)とされているが、注目すべきはその理由として「天地人を指す「三」は聖数とされ、「王」の字形も「三」を貫くもので、道の実践者を意味する」(本書209頁)という白川静氏の見解を示した上で、「「三」は事物の安定と対立と回復がはらまれている弁証法的な構造を秘めた数字といってもよい」(本書209頁)とされていることである。個人的には、この指摘がなかなか興味深い。
 また、「世界史と日本史上の三国鼎立」と題して様々な「三国鼎立」を示しておられる。高句麗・百済・新羅の朝鮮三国時代はともかく、劉邦・項羽に匈奴の冒頓単于を加えて「三国鼎立」と見て、その最終的勝者を冒頓単于とする見方はこれまでなかなか指摘されてこなかった。非常に面白いと思う。さらにイスラーム世界では8世紀後半の後ウマイヤ朝・イドリース朝・アッバース朝、10世紀初めの後ウマイヤ朝・ファーティマ朝・アッバース朝の三国鼎立を述べ、ほぼ同時代のヨーロッパの「フランク三国志」というべき東フランク、中部フランク、西フランクの各王国の鼎立(これらがドイツ・フランス・イタリア三国の起源となることは高校世界史の教科書にも書かれていることである)を示している。日本史では戦国時代の島津義久(薩摩)・大友宗麟(豊後)・竜造寺隆信(肥前)、今川義元(駿河)・武田信玄(甲斐)・北条氏康(相模)の鼎立に、北信濃・上野をめぐる上杉謙信・武田信玄・北条氏政の争い、最上義光(山形)・伊達政宗(仙台)・蒲生氏郷のちに上杉景勝(会津)を指摘している。
 さらに、酒見賢一〔著〕『泣き虫弱虫諸葛孔明』第弐部(文藝春秋 2007年)が巻頭で紹介している『全相平話三国志』などに伝えられている説を紹介している。すなわち、後漢・光武帝の時代の司馬仲相の夢見に出てきた話として、天帝が劉邦の臣下殺害の報復として、韓信・彭越・黥布をそれぞれ曹操・劉備・孫権として天下を三分させる。劉邦は献帝、呂后は伏皇后として蘇生させて罰せられることになっている。さらに諸葛亮は蒯通に、司馬仲相は司馬仲達として生まれ変わるとし、著者はこれらの設定を「中国人ならではのスケールの大きな構想力の所産というべきだろう」として評価されている。
 さらに、蒯通が韓信に薦めた計(「強国斉に拠って燕や趙を従え、劉邦の漢や項羽の楚と天下を三分する計」〔本書214〜215頁〕)も諸葛亮が劉備に説いた「天下三分の計」とほぼ同じ政略だとされていることも、非常に面白い。このような視点で天下三分の計が論じられた著作はそれほど多くはないだろう。
 本書の中で『三国志』を扱った部分は非常に短いが、示唆に富む指摘が多いと感じる。全体を通してみても、主にユーラシアの歴史を扱ったエッセイとして良いと思うので、一読をお薦めしたい。

お薦め度:★★★★★

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2008-08-25 17:55:48

拝受(2008/08/23) [ 新着・新収 ]

Tun-huang and Turfan documents : concerning social and economic history 掘Contracts
co-edited by Tatsuro Yamamoto, On Ikeda ; A. Introduction & texts , B. Plates -- Committee for the Studies of the Tun-huang Manuscripts, the Toyo Bunko, 1986-1987, 2 v..

Tun-huang and Turfan documents : concerning social and economic history 
She associations and related documents

co-edited by Tatsuro Yamamoto, Yoshikazu Dohi, Yusaku Ishida ; A. Introduction & texts : 1989 , B. Plates : 1988 -- Committee for the Studies of the Tun-huang Manuscripts, the Toyo Bunko, 1988-1989, 2 v..

Tun-huang and Turfan documents : concerning social and economic history Supplement
co-edited by Tatsuro Yamamoto, On Ikeda, Yoshikazu Dohi, Yasunori Kegasawa, Makoto Okano, Yusaku Ishida, Tatsuhiko Seo ; A. Introduction & texts , B. Plates -- Committee for Research of on Tang History, the Toyo Bunko, 2001, 2 v..

  某先生より頂戴する。敦煌から出た類書などに、陳寿『三国志』の典拠の一つである王沈『魏書』などの史書の佚文がある場合がある。敦煌文献についても、いろいろと勉強していきたい。

拝受(2008/08/23) | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)

2008-08-23 12:35:00

購入(2008/08/19) [ 新着・新収 ]

BB戦士三国伝 曹操ガンダム・司馬懿サザビー〜官渡の奇跡〜
  (バンダイ 2008年)

 長男が、上田の祖母に購入していただいた。早速作り、長男は完成品を楽しんでいる。

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2008-08-18 22:35:00

購入(2008/08/18) [ 新着・新収 ]

山内昌之〔著〕『帝国のシルクロード 新しい世界史のために』
  (朝日新聞出版 朝日新書 2008年 ISBN 978-4-02-273225-5)

 あゆみBOOKS八王子店で。目次を見て、本書第3部・6に「『三国志』、秘数三と裏設定」という項があったので購入。さっと目を通したが非常に興味深い一文だと感じる。


BB戦士・No.302「関羽ガンダム」(バンダイ 2007年)
 Amazon.co.jpから。長男の誕生日プレゼントとして購入。長男はずっと欲しがっていた。これで劉備・関羽・張飛、そして孔明がそろったことになる。

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2008-08-18 22:30:00

第9回三顧会講演内容(箇条書き風に) [ 余滴 ]

 内容を思い出す意味も含め、記憶に頼ってではあるが、三顧会でのお話の内容を箇条書き風にまとめておきたいと思う。順不同になってしまう部分があると思うが、その点はご了承いただきたい。

第9回三顧会レジュメ

・陳寿が著した歴史書『三国志』についての概説
※陳寿〔著〕『三国志』は「三国時代ダイジェスト」であり、同時代史。

・歴史書『三国志』における「魏→蜀漢→呉」というランキング
※上にアップしたレジュメ(当日はプロジェクターでお見せしただけで、配布していない)や拙著『三国志 正史と小説の狭間』〔以下、「拙著1」と略す〕参照。

・簡潔な文章
☆西晋の権力者(魏王朝でも権力を持っていた本人かその子孫)にとって都合の悪いことを書くと陳寿本人も著書も危険。拙著1など参照。

・微妙な表現
※『三国志』高貴郷公紀の「卒」字。拙著1参照。

・『三国志』の典拠としての王沈『魏書』・韋昭『呉書』(『魏略』の話をするのを忘れました)
☆典拠の違いからか、同じ事件でもいわゆる『魏志』・『呉志』・『蜀志』で書かれ方が異なる場合がある。
   ↓
・「歴史書『三国志』での赤壁の戦いに関する記述を整理しきって、どのような戦いだったか説明できる方がおられたら、お教えください。」
※拙著1、拙著『「三国志」万華鏡 英雄たちの実像』〔以下、「拙著2」と略す〕参照。

・「一騎討ちってホンマにやってたんですかねえ?」
☆夏侯淵に関する曹操の令(『太平御覧』巻三三七)では、「白地(「なんとなく」の意)将軍」とよばれていたこと、司令官は武器を持つことも戒めないといけないこと、「なのに夏侯淵は逆茂木(原文では「鹿角」)の修理をするとは!」とある。拙著1・193〜194頁参照。

・『三国志演義』(『三国演義』)についての概説。
※レジュメ、拙著1参照。
☆もしかしてこれを読むと、我々も儒教的価値観を刷り込まれてる?

・中国・三国時代についての概説。
☆「厳密には魏ができた220年から呉が滅ぶ280年でしょうが、黄巾の乱(184年)が起こってからの約100年間を扱っていると考えても差し支えないでしょう」。魏・蜀漢・呉の三国にまとまって争った時代のこと。
※拙著1、拙著2参照。

・黄巾の乱以降の群雄割拠
☆董卓が貨幣制度をむちゃくちゃに(前回の記事の追記参照)。意外と小心者の董卓。周りの者に薦められて董卓自身が地方の長官に任命した袁紹らが反董卓軍の中心に。
※拙著1参照。

・三国と代表的人物、西晋の統一に至るまでの概説。

・「華麗なる暗黒時代」(レジュメ参照)
☆この時代は寒かった(『三国志』巻二文帝紀)。
☆陳寿は仏教に関する記事を削ったかも?

・『大蔵経』(私が確認したのは『大正新脩大蔵經』)の中に、王沈『魏書』・韋昭『呉書』のものと思われる佚文がある(拙著1・53〜54頁参照)が、偽作の可能性もあるので分析が必要である。

・いろいろな側面を持つ曹操
☆政治家、軍人としてだけでなく、『孫子』に注をつけた学者、時代を代表するような詩人の側面も。
☆実は、迷信に弱かった(?)。
※『三国志』劉曄伝にあるエピソードなど。拙著1、拙著2参照。

・「曹操について、どんなイメージをお持ちですか?」(関西弁イントネーションで)と伺うと、「人妻趣味のとんでもない人(趣旨)」という発言があったので、「できるだけ子どもが欲しい、というところから考えれば、もしかすると彼なりには「合理的」だったのかも」という話をする(内容は差し控えさせていただきます)。また、曹叡・劉禅・孫皓・司馬炎の後宮拡大は信頼できる(と思っていた)一族を増やす目的もあった?(ちなみに〔この話はしてませんが〕、安田二郎先生の「西晋武帝好色攷」(『東北大学東洋史論集』7 1998年、のち『六朝政治史の研究』京都大学出版会 2003年 第2章所収)によると、孫皓の後宮拡大策は子女の納宮を介して有力姓族や良家との個別的な結びつきを強化することが主要目的であったとされる。また、司馬炎による273年以降の後宮拡大策は、孫皓の施策の模倣であると捉えている。また、蜀漢の劉禅も同様の目的での後宮充実策を行おうとした可能性も示唆されている。)

・関羽は「神様」です。
☆もしかしたら、アラーと並ぶ信者の多い神様かも。

・諸葛亮は南北の交通路を頭に入れた戦略を持っていた。
☆南征はミャンマー方面などへの道、北伐は涼州につながる道を狙う。拙著1、拙著2参照。

・蜀漢の人々は、どの程度「漢族」だったのだろう?
☆成都のすぐ近くでも「異民族」の反乱。拙著1・293〜294頁など参照。

・旭川展の写真をプロジェクターで写しながら、「大三国志展」の展示物の紹介。

・BB戦士三国伝のお話を少し(内容は控えます)。

・余談で、『蒼天航路』の著者、李学仁氏に関する話など。

 大まかには以上のようになるが、思い出したら徐々に追加していきたいと考えている。ただ、以上のような話は来ていただいた方々にとってつまらなかったのではないかと反省している。

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2008-08-17 13:30:00

三顧会(追記〔お詫びと訂正〕あり) [ 余録 ]

 16日は、日帰りで山口県の三国志城博物館での三顧会で講演会を担当した。

 13時頃からお話をさせていただく。『三国志』に関する基本的な話からはじまり、少し細かい話もさせていただいた。
 私としては、いらっしゃった皆さんが私の話を楽しんでいただけたかどうか、気になるところである。あとは、かなりハードスケジュールな中でお話することになってしまったこともあって、私自身が「脳ミソのオーバーヒート」を起こして、勘違いをして話をしてなかったかが心配。いらっしゃっていた方にも「何かあったら、おっしゃってくださいね」とはお話していたのだが。

追記〔お詫びと訂正〕(2008年8月17日)
 よく思い返してみると、董卓の貨幣政策がハイパーインフレーションを引き起こして貨幣制度を崩壊させたというお話をさせていただいた際に、「董卓が五銖銭を真ん中でぶち抜いて云々」というお話をしたかもしれません。「かもしれません」というのは、本筋の話ではないところであり、レジュメをお配りしたわけでもなく、話の録音にも失敗していて、現時点では私の記憶に頼るしかないからです。
 もし上記のようなお話をしていたとすれば、お恥ずかしい限りですが、それは完全に私の「脳ミソのオーバーヒート」であり、勘違いであります。大変申し訳ございませんでした。2006年に出版しました拙著『三国志 正史と小説の狭間』(白帝社 2006年)92〜94頁を引用させていただき、訂正に代えさせていただきます。来場された皆様、関係者の皆様に深くお詫び申し上げます。


 董卓の貨幣政策について、「董卓伝」には一九〇年二月に献帝を長安に移した後に、五銖銭(重さが五銖〔五銖銭が登場した前漢では約三・二五グラム〕とされた漢代の銭)をつぶして、新しく小銭を作り直したとある。しかし、その銭の質は極端に悪化し、大きさは半分、文章(模様)無し、穴も周囲の線もなく、磨いてもいなかったという。その結果、通貨信用をなくしてしまった。
  (中略)
 さて、このように後漢時代の銅銭政策を見てくると、董卓が作った小銭は悪銭の後継者ということになるだろう。董卓小銭は剪輪銭とそっくりの形に作られたが、質は剪輪銭より悪くなっている。

※剪輪銭は一枚の五銖銭を真ん中で打ち抜いた後の、穴のある真ん中の部分のこと。

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2008-08-15 17:14:00

明日「三顧会」 [ 宣伝 ]

 明日16日、山口県の三国志城博物館で「三顧会」というイベントが開催されるが、私はそこで講演をすることになっている。すでに9回を数えるとのことだが、私はこのイベントにも三国志城博物館にも伺うのは初めてである。どのような博物館、どのようなイベントなのか、私も楽しみにしている。

 以下に三顧会を紹介しているHPのリンクをはっておくので、興味のある方は参照していただきたい。
「英傑群像」・三国志城イベント三顧会

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2008-08-10 17:53:59

購入(2008/08/07) [ 新着・新収 ]

『文物』2008年第3期(文物出版社 2008年3月)
『六朝學術學會報』第9集(六朝學術學會 2008年3月)

 東方書店にて。本当に遅くなってしまったが、これまで図書館で見ていたものをようやく手に入れた。
 前者ではやはり南京市博物館「南京大光路孫呉薛秋墓発掘簡報」に注目である(「關尾史郎のブログ」2008年5月28日の記事「南京出土の名刺簡?」も参照されたい)。
 後者の方では、高橋康浩〔著〕「韋昭『呉書』の偏向とその檢討」を改めてじっくりと読んでみたいと思う。この論文では拙稿「韋昭『呉書』について」(『創価大学人文論集』第16号 2004年3月)を取り上げていただいており、その上で更なる検討に努めておられるようである。

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2008-08-04 01:45:00

試論・劉表年代記(〜200年)〔2008年8月4日改訂版〕 [ 劉表政権論 ]

 劉表(字は景升)は山陽郡高平県出身で、前漢・景帝の子の魯の恭王・劉余の子孫である。妻は蔡瑁の姉の蔡氏などがいた。
 同郷の儒学者・王暢(党人とされた人物である)から学問を学び、若い頃から儒者として知られた。宦官による有力官僚の追放事件である党錮の禁では党人として非難され、仲間の士大夫からは「八俊」(八交や八顧とする説もある)の一人にかぞえられた。彼は後漢の名門貴公子でエリート官僚でもあったのである(ちなみに、安部聡一郎「党錮の「名士」再考 貴族制成立過程の再検討のために」(『史学雑誌』111-10 2002年)では、「天下名士」の「八俊」などの格付けは後漢期には存在しなかったとされる)。
 のち、大將軍の何進に仕え北軍中候(近衛軍の監察官)になっていたが、霊帝の死後(190年)、孫堅に殺された王叡の後任として荊州刺史となる。この時に任命したのは伍瓊・周瑟らの士大夫からの「進言という名の脅迫」を受けた董卓ではないかとも考えられるが、確定できない。ちなみにこの後すぐに伍瓊・周瑟は殺されるが、『後漢書』列伝巻六十二董卓伝では反董卓同盟軍の中心人物とされる。
 当時、荊州各地では宗賊(一族で結束して割拠する人々)がはびこり、南陽は袁術におさえられていて、各地の太守や土着の人々は言うことを聞かなかった。そこで、劉表は一人で荊州に乗り込み、この地の有力者の蔡瑁・蒯良・蒯越の協力を得て宗賊に誘いをかけ、やってきた15人(55人とも言われる)の有力者を皆殺ししてその配下の軍勢を取り込んだ。いくら有力者の協力があったとはいえ、なかなかの豪腕である。その後、江夏の宗賊が荊州の中心都市・襄陽にたてこもっていたが説得して降伏させ、一気に支配権を確立した。
 袁紹・曹操らが董卓と戦おうとする動きが起きると、襄陽で陣をしいた(劉表は州治を武陵郡漢寿県から南郡襄陽県に移している)が、これには『三国志』巻六劉表伝のように袁紹や曹操の側について董卓と戦おうとする姿勢を見せたとする見方と、『後漢書』列伝巻六十四下劉表伝のように単に周囲の(特に袁術の)動きに備えただけとする見方がある
 その後、袁術が荊州を取ろうとして手先となっていた孫堅に劉表を攻撃させたが、孫堅が流れ矢に当たって戦死した(191年末〜192年前半)ため失敗に終わっている。この時、劉表のもとに赴いて孫堅の遺体を請い受けたのが、長沙郡臨湘県出身の桓階である。劉表は義侠心を買って孫堅の遺体を引き渡したが、この桓階がのちに劉表を苦しめることになる。
 呂布に殺された董卓の後を受け継いだ李カク(人偏+隺)・郭椶藁表を味方にしたいと考え、劉表を鎮南将軍・荊州牧とした(192年10月)。しかし、この頃の劉表はまだまだ荊州での覇権を確立していなかった。荊州の中心部はおさえたが、南陽などの北部は袁術が握っていたのである。ところが、この年から193年にかけて袁術は南陽を捨てて兗州の曹操に向かっていったのである。193年春に劉表が糧道を断った(『三国志』巻一武帝紀)ことも原因の一つであろう。
 192年10月に劉表が荊州牧になってから後のことと思われるが、劉表は「劉焉に子夏が聖人の論をまねたのに似たところがある」と上表しており、これは劉焉が乗輿と車具を千乗以上こしらえたためとされる(『三国志』巻三十一劉焉伝参照)。その後、『三国志』巻三十一劉焉伝本文によれば劉焉が亡くなり劉璋が領益州牧に、趙韙が征東中郎将に任命され、劉表討伐が命じられたという。また、『三国志』巻三十一劉焉伝及び同伝裴注所引『英雄記』によると、194年に劉焉が亡くなり劉璋が益州刺史となったが、長安の朝廷では潁川の扈瑁を刺史として漢中に入らせた。その際、荊州別駕の劉闔や劉璋配下の沈弥、婁発、甘寧が叛いて劉璋と戦ったが勝つことができず荊州に逃げていき、劉璋は趙韙に荊州を攻撃させてシュンジン(月+句)(月+(躵−身))に駐屯させたという。劉焉が亡くなった後、『三国志』巻三十一劉焉伝本文では劉璋が領益州牧に任命されているが、この『英雄記』では長安の朝廷が扈瑁を(益州)刺史に任命しており 、劉璋は刺史を自称したと見るしかない記述になっていて、内容が異なっていることに注意が必要である。『後漢書』巻七十五劉焉伝では、趙韙は劉璋を立てて刺史とし、その後詔書で劉璋を監軍使者・領益州牧、趙韙を征東中郎将としたとあり、以前に劉焉は乗輿の器服を僭擬したと劉表が上奏したことを受けて、趙韙が劉表に備えてシュンジン(月+句)(月+(躵−身))に駐屯したと書かれていて、『三国志』巻三十一劉焉伝本文と同伝裴注所引『英雄記』の中間を取ったような内容となっている(ちなみに、『資治通鑑』巻六十一興平元年を見ると、劉焉没後、趙韙が劉璋を益州刺史と為すように上表したが、扈瑁が刺史に任命され、沈弥、婁発、甘寧らが叛いて劉璋と戦ったが破れ荊州に入り、結局劉璋が益州牧に任命されたとあって、『三国志』劉焉伝本文と同伝裴注所引『英雄記』を矛盾のないように合わせたものとなっている)。先の『英雄記』の記述が誤りであると見る積極的根拠がないためとりあえずその内容を信用すると、ここで登場する荊州別駕・劉闔の動きに劉表がからんでいないとは考えにくい。とすると、劉表が荊州を安定させるために動きながらも益州に対して行動を起こしていたということになる。この動きは劉表側からみると劉璋政権を瓦解させ、劉表の益州への影響力を確保する目的があったと見ることができるし、あわよくば実質的に劉表の支配下に置こうとしたのかもしれない。仮に『英雄記』の記述の信憑性を疑問視したとしても、劉焉・劉璋政権と劉表政権が互いの動きを牽制し睨み合っていたことがわかる。(目指すものが「天下」か「割拠」かはともかく)劉焉・劉表両政権双方の野心が原因の一つであろう。
 『後漢書』列伝巻五十四趙岐伝には献帝が洛陽に戻るにあたって衛将軍・董承を遣わして宮室を修理させようとしたときに、趙岐が董承に劉表を説得することを進言し、董承は趙岐を荊州に派遣して租税の上納を督促させると、劉表はすぐに洛陽に兵を派遣して宮室修理を助けさせ、軍資の輸送も絶えさせなかったとある。この時期としては、『後漢書』列伝巻六十二董卓伝の記事などから196年前半のことであろう。
 この『後漢書』の記載するところによると、劉表は朝廷に対して租税を上納し、少なくとも洛陽で宮室修理をしている前後は兵も派遣し、軍資輸送も絶やさなかったことになる。このような話は『三国志』には全く記載されていない。陳寿が『三国志』を編纂していた頃には、すでに後漢に関する史書なども編纂されていた(陳寿『三国志』の完成より前に、呉の謝承(孫権の謝夫人の弟である)や薛瑩(282年没)の『後漢記(後漢書)』は成立していたと考えられる)ことから、そちらに記載があるので彼の『三国志』では省いた、という可能性も考えられる。
 しかし、この時期の後漢朝廷は長安から洛陽に移るまでの混乱の中にあり、韓暹・張楊・董承・楊奉の4人が政権を担当していたことを踏まえておく必要があるだろう。彼らの政権は「微妙なバランスのうえに成り立つ不安定な政権」(石井仁『曹操―魏の武帝』〔以下、「石井仁前掲書」と略す〕(新人物往来社 2000年)129ページ)であり、「それぞれに強力な外援をえて、発言力を高めようとしていた」 (石井仁前掲書129ページ)と見られる。その「強力な外援」として、趙岐は董承に対して劉表を推薦したのであろう。そのような中で、劉表本人は洛陽までは出てくることがなかった。まだまだ安定したとは言いがたい荊州情勢と混乱する中原の情勢を考慮して、劉表は出てこなかったのではないかと筆者は考えている。このような姿勢を取る劉表は、董承の期待する「強力な外援」ではなかったのかもしれない。結局、董承は曹操を招聘し、曹操は上洛。これ以降、曹操の専権がはじまることになる。
 以上のような情勢を踏まえると、後漢朝廷を輔政し得たかもしれない劉表の動向について、陳寿『三国志』は記載を避けたという可能性を考えなければなるまい(王沈『魏書』もそうだった可能性がある)。「(後漢の)天子をないがしろにする劉表、漢室匡輔のために戦う曹操」を印象づけるためにわざと載せなかったということである。
 ここで注目したいのは、趙岐が董承への進言の中で荊州について述べた部分である。そこでは、「海内が分裂崩壊する中で荊州だけは境は広く地は勝れ、西は巴蜀に通じ、南は交趾に当り、穀物が実り、兵人もやや満たされている」とある。荊州という土地が豊かな土地であるという指摘と同時に、「南は交趾に当り」と述べられている。この荊州の地政学的位置を考えるにあたり、この趙岐の発言は重要なものだと思う。
 曹操が天子(献帝)を許に迎えた後、関中から南陽に侵入してきた張済が流れ矢に当たって戦死する(196年)。その際、祝いを述べた配下に対して「困窮してきた張済に対して自分が礼を尽くさなかったから、戦いになったのだ。弔辞は受けるが祝辞は断る」と言って、張済の軍勢を受け入れた。張済の軍はこの劉表の言葉を聞いて喜んで服従したという(『三国志』巻六劉表伝)が、結局張済の死後、南陽には張繡(張済の族子)が劉表の支援を受けつつ存在しており、劉表は南陽を直接支配していない。牧になって5〜6年経ったこの時点でも荊州内部の問題を苦しみながら群雄との駆け引きを展開していったためであろう。
 この張繡に対して、劉表との同盟を勧めたのは賈詡である。『三国志』巻十賈詡伝裴注所引『傅子』によると、賈詡が使者として劉表のもとに赴いて会見し、劉表は賓客の礼でもてなしたとされるが、この際の賈詡の劉表評をそのまま真に受けるのは危険である。『三国志』及び裴注所引書籍における劉表評には基本的に前向きなものがないうえに、『傅子』の性格も考慮しなければならないからである(この点については別の記事で述べる)。
 ちなみに、献帝が許に移った頃、劉表は貢物を献上していたが(曹操ではなく)袁紹と同盟しており、羲がこれを諌めても劉表は聞き入れず、羲は劉表が亡くなるまで仕官しなかったとされる(『三国志』巻六劉表伝)。「天子のいるほうにつく」という豪族たちの方向性の表れであろうか。
 197年から198年にかけて、荀攸の「張繡と劉表は助け合っているから強力である。(中略)きびしく攻めたてれば、なりゆき上助け合うに違いない。」(『三国志』巻十荀攸伝)との反対意見を受けたにも関わらず、張繡・劉表に戦いを挑んで、緒戦で敗北。その後、奇襲してなんとか勝利を収めた。曹操はこの張繡・劉表と戦いながらも背後の袁紹の「影」に苦しんで討伐しきれなかったが、この一連の戦いにより張繡・劉表を封じ込めることには成功したのである。この直後、曹操は再び荀攸の「敗れたばかりで張繡と劉表は動けない」(『三国志』巻十荀攸伝裴注所引『魏書』)との意見を受けて、呂布を征伐していくことになる。
 同じ198年、長沙太守の張羨が零陵・桂陽の諸郡も率いて劉表に叛き、200年までの数年間戦い続けることになる。この際、張羨に対して劉表との戦いを起こすように進言したのは、先に孫堅の遺体を請い受けた長沙郡出身の桓階であった(『後漢書』列伝巻六十四下劉表伝、『三国志』巻二十二桓階伝など)。
 ここで注意しなければならないのは、196年に反乱に巻き込まれて亡くなった「交州」刺史・朱符(朱儁の子?)のあとを受けて、196〜200年の間に長沙の南方にある「交州」の刺史(長官)として張羨と同郷の張津が後漢朝廷(実際はおそらく曹操)によって派遣されていたことである(『三国志』巻四十九士燮伝・巻五十三薛綜伝)。ちなみに、『三国志』の記載では交州とあるが、実際の交州の成立は203年とされる(『宋書』州郡志四(巻三十八)・『晋書』地理志下(巻十五))ため、本論では203年以前の交州を「交州」と表記している。
 194年頃には予章太守として朱儁の子の朱皓がおり、加えてこの頃に朱符が「交州」刺史となっていた。ということは、190年代半ばにはこの地方に朱氏の勢力が及んでいたという可能性がある。そして、孫策の江東進出と朱儁の死は同年(195年)であり、その後孫策が劉繇を攻め、そのあおりで朱皓も殺されている。そして、196年頃に朱符も夷賊によって殺されている。このように見ると、朱氏の勢力は孫策の圧迫を受けて後退したと考えられる。また、朱符の死の直後に士燮が3人の弟を太守としていることから、朱符の死に士燮が絡んでいる可能性がある。その後に派遣されてきた張津は、実は事実上士燮が支配する「交州」に赴任してきたのである。そして、この曹操による張津の「交州」赴任は劉表と孫策を背後から牽制するための人事であった可能性が高い。『三国志』巻五十三薛綜伝によると、張津は劉表と行き違いを起こし、毎年軍事行動を起こした、とされる。この張津の動きは長沙の張羨の動向と関係があったと見るべきで、曹操からの何らかの指示があったということは充分考えられるだろう。
 ここで本来は『三国志』巻五十一孫輔伝に見える孫輔の「交州」刺史任命について触れておくべきであろうが、この件については機会を改めて述べたいと思う。いずれにせよ、孫氏政権の「交州」への意識を踏まえていることは間違いないだろう。
 そんな中、199年11月に張繡が曹操に降伏したのだが、これに対して劉表はどっちつかずの優柔不断な態度で、後に袁紹についたとされる。しかし、これは曹操が張羨と結び、おそらく張津に張羨を援助させて劉表に対抗(199年後半〜200年)して、劉表を挟み撃ちの状態に追い込んでいたことを踏まえるだけでも、「優柔不断」と安易に断定することはできなくなる。
 加えて、『三国志』巻四十六孫討逆伝裴注所引『江表伝』を見ると、袁術が亡くなる(199年6月)直前に詔勅を受けて「孫策が曹操・董承・劉璋らと協同して袁術と劉表の討伐にあたることになった」とあり、孫策が劉勲を攻撃すると、劉勲は劉表に急を告げ、黄祖に救援を求めたとされる。また、『三国志』巻四十九太史慈伝には、劉表の従子・劉磐が艾・西安などの諸県をあらしまわっていたが、孫策は太史慈に侵攻を食い止めさせたとある。劉繇が亡くなったのが198年で孫策の死が200年4月であることからすると、劉磐の侵入は少なくともこの間の出来事であろう。この劉磐の侵入に劉表が全く関係していないとは考えにくい。
 このようなことから考えると、劉表の動向を考える上では、曹操と劉表の間の暗闘だけでなく、劉璋と劉表、孫策と劉表の間の紛争も考慮に入れなければなるまい。ちなみに『三国志』巻四十六孫破虜伝裴注所引『山陽公載記』(『三国志』巻三十六馬超伝裴注では、『献帝春秋』とともに、裴松之から「穢雑虚謬」と批判されていることに注意が必要である)では、董卓は「二袁と劉表・孫堅さえ殺せば、天下は俺のものとなる」と言ったとされる。
 さらに、『三国志』巻四十六孫討逆伝裴注所引『江表伝』の内容を裏付けるかのように、劉表が袁紹側についた後(関中の諸将も中立の立場をとっていた)、曹操は劉表と仲が悪かった劉璋に兵を出させて劉表を牽制させようとしているのである。そのために曹操は衛覬を劉璋への使者として派遣したが、長安から先に行くことができず未遂に終わっていることもあわせて考えなければなるまい(『三国志』巻二十一衛覬伝)。
 劉表に対して、このような手をうち態勢を整えて、199年12月に曹操は官渡に進軍していったのである。
 ここまでの情勢をまとめてみると、彼が荊州を本当の意味で安定させたのは西暦200年前後のことである。しかもその200年頃までおそらくは交州の張津と連携して長沙の張羨が曹操側につき零陵・桂陽などを含めて反抗していた。さらに、劉表は孫策や劉璋の動きも警戒しなければならなかったのである。官渡の戦いの頃に袁紹と組んで曹操に挑むことは簡単なことではなかったのではないだろうか。

※孫堅の没年について
 なお、孫堅の没年について、『後漢書』本紀巻九孝献帝紀や『三国志』巻四十六孫破虜(孫堅)伝(・同伝裴注所引『呉録』)によると192年(初平3年)となり、同伝裴注所引『英雄記』では「初平三年正月7日」となっている。また、『三国志』巻六劉表伝には孫堅が亡くなった後に李傕・郭椶長安に入ったことを記しているが、『三国志』巻六董卓伝や『後漢書』本紀巻九孝献帝紀によると李傕・郭椶猟弘惰城は少なくとも6月よりは前であり、孫堅が亡くなったのはそれよりさらに前ということになる。しかし、『三国志』巻四十六孫討逆(孫策)伝裴注『呉録』にある孫策の上表文には「(孫策が)17歳の時に父を失った」とあり、その直後に裴松之の考察によると、孫堅の没年が192年であれば孫策は18歳であり矛盾するとし、張璠『漢紀』・『呉歴』の191年(初平2年)が正しいとしている。盧弻は『三国志』巻五十五周瑜伝にある周瑜の年齢(建安3年で24歳、したがって初平2年で17歳)と孫策の年齢が同年だということから、191年だとしている(『三國志集解』巻四十六15b)。


※主な参考文献(『三国志』・『後漢書』・『宋書』・『晋書』は除く。)
尾崎康「後漢の交趾刺史について―士燮をめぐる諸勢力―」
  (『史学』33―3・4 1961年)
石井仁「孫呉政権の成立をめぐる諸問題」
  (『東北大学東洋史論集』6 1995年)
石井仁『曹操―魏の武帝』
  (新人物往来社 2000年)
拙著『三国志 正史と小説の狭間』
  (白帝社 2006年)

試論・劉表年代記(〜200年)〔2008年8月4日改訂版〕 | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)

2008-08-03 14:00:00

拙著『三国志―正史と小説の狭間』(2008年8月3日改訂) [ 宣伝 ]

拙著『三国志―正史と小説の狭間』
(白帝社 2006年2月 ISBN 4-89174-786-2)



 本ブログのタイトルにもなっている、一昨年出版した拙著である。第一章で歴史書『三国志』とその典拠となった史書(特に王沈『魏書』・韋昭『呉書』)について述べたうえで、史書から小説に至る経緯を概説。第二章以降では、後漢末から280年(三国で最後まで残った呉の滅亡の年)までの通史を大体10年ずつに区切り(第二章・第六章・第七章はその限りではない)、小説との違いに注意しつつ史実に即して述べようとしている。

 目次は以下の通り。
  まえがき     
  凡例     
  三国要図
  第一章 正史『三国志』と小説『三国志演義』  
  第二章 後漢末期の混乱と曹操の登場  
  第三章 西暦一九〇年代の主役―袁紹と袁術
  第四章 官渡と赤壁―曹操の覇権と新世代の登場
  第五章 遅れてきた「大物」・劉備と三国鼎立
  第六章 「丞相」・諸葛亮の時代
  第七章 司馬氏の台頭と三国時代の終焉
  あとがき
  資料
  人名索引

追記)
本書の正誤表(2008年6月6日版)を以下にアップいたします。なにとぞよろしくお願い申し上げます。
『三国志―正史と小説の狭間』正誤表(2008年6月6日版)
※前回のxmlファイルがうまく表示されない、とのお話がありましたので、htmlファイルにしてみました。念のため、xml版もアップしておきます。
『三国志―正史と小説の狭間』正誤表(xml版)

注)
ご覧になる方の環境によっては、諸葛の「葛」の字が本来の字と異なってしまうこともあるかと思うが、ご容赦いただきたい。

拙著『三国志―正史と小説の狭間』(2008年8月3日改訂) | Permalink | コメント(2) | Trackback(0)

2008-08-02 21:40:00

諸葛孔明関連書籍紹介まとめ(〜2008年7月) [ 諸葛孔明関連書籍等紹介 ]

 諸葛亮(孔明)に関する書籍で、これまでに筆者が本ブログで紹介したものを、再びまとめてご紹介しておくことにする。これらの書籍の紹介文については、以下にリンクした本ブログの当該記事を参照されたい。

『人物 諸葛孔明』
『諸葛孔明 「三国志」とその時代』
『諸葛孔明の世界』
『《史伝》諸葛孔明』
『図解雑学諸葛孔明』
『【三国志】真説諸葛孔明』
『諸葛孔明の組織改革 「三国志」に学ぶリストラ』
『諸葛孔明 泣いて馬謖を斬る』
『諸葛孔明―三国志の英雄たち―』
『三国志の英雄―諸葛孔明』
『「三国志」の世界 孔明と仲達』
『諸葛亮孔明 逆境からの挑戦』
『諸葛孔明―中国英雄伝』
『現代に生きる孔明の人材学 人を発掘し、育て、活かす狄雄爛螢好肇薛瓩涼侶叩
『《戦わずして勝つ》諸葛孔明の兵法』
『諸葛孔明』
『孔明と仲達 天才と英才の対決』
『諸葛孔明【不世出の軍師の機略縦横】』

 改めて見直すと、個人的には『諸葛孔明 「三国志」とその時代』・『諸葛孔明の世界』・『図解雑学諸葛孔明』・『諸葛孔明の組織改革 「三国志」に学ぶリストラ』 ・『諸葛亮孔明 逆境からの挑戦』・『現代に生きる孔明の人材学 人を発掘し、育て、活かす狄雄爛螢好肇薛瓩涼侶叩戮箸い辰申饑劼、示唆に富む興味深いものであった。ぜひ一度お読みいただきたいと思う。

注)
ご覧になる方の環境によっては、諸葛の「葛」の字が本来の字と異なってしまうこともあるかと思うが、ご容赦いただきたい。






諸葛孔明関連書籍紹介まとめ(〜2008年7月) | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)

2008-08-01 01:15:00

刊行(2008/08/01改訂版) [ 宣伝 ]

このたび、以下の書籍を出版しました。

満田 剛〔著〕『三国志万華鏡 英雄たちの実像』
(未来書房 三国志リブレット 2008年
   ISBN 978-4-902086-10-2) 定価1000円(税込)
『「三国志」万華鏡 英雄たちの実像』

(画像をクリックしていただければ、拡大写真になります。)
 本書はリラックスしながら読んでいただけるように、第一章で中国・三国時代とはどのような時代かを簡単にまとめた上で、各章ごとに主に人物を中心にし、『三国志』に関するエッセイとしてまとめてみました。したがって、第一章を読んでいただいた上で、ご自身の興味のある章から読んでいただけるようになっています。文章もできるだけわかりやすく読めるように心がけたつもりです。なにとぞよろしくお願い申し上げます。


以下のショップ・書店などで販売しております。

・博文堂書店信濃町店(JR信濃町駅前トーシン・ビル1・2階)
・大阪書店
  (JR・京阪京橋駅から徒歩1分、京橋駅前チョップタウン)
・博文堂書店ミナミ店
  (大阪市営地下鉄堺筋線日本橋駅から徒歩1分、ナンバウォーク内)
・博文堂書店新大阪店
  (大阪市営地下鉄御堂筋線西中島南方駅北口徒歩2分、新御堂筋ビル)

三国志エンタメ情報三国志グッズ「英傑群像」三国志万華鏡 英雄たちの実像


 なお、筆者に直接ご注文いただく際には、お名前、ご住所、お電話番号をメールで次のアドレスにお送り下さい。

 sangokushilibretto@hotmail.co.jp

金額は送料込みで1210円です。


目次は次の通りです。

  まえがき
  第一章 中国・三国時代とは
  第二章 英雄たちの実像―情に厚い曹操、「計算ずく」の劉備、人事にたけた孫権
  第三章 諸葛亮(諸葛孔明)の「天下三分の計」について
  第四章 魏の「お気に入りのライバル」―蜀漢
  第五章 曹沖―曹操の「幻の後継者」
  第六章 呉の隠れた名将―朱然とその一族
  第七章 歴史家の明と暗―王沈、韋昭、そして陳寿
  第八章 『三国志』に関する書籍紹介
  あとがき

※実は、第四章では赤壁の戦いについても扱っております。史学史的な話がメインですが、少しは興味を持っていただけるかと思います。

※本書をご注文いただく際に頂く個人情報やその他ご意見やご要望をいただく際に知りうる個人情報について、 その目的以外に使用することはございません。またそれら個人情報は、法に基づく資料開示でない限り、個人情報対象者に断りなく、第三者へ開示、提供することはございません。

追加)
本書の正誤表(2008年6月24日版)をアップしておきます。よろしくお願い申し上げます。
『「三国志」万華鏡 英雄たちの実像』正誤表(2008年6月24日版)
※前回のxmlファイルがうまく表示されない、とのお話がありましたので、htmlファイルにしてみました。念のため、xml版もアップしておきます。
『「三国志」万華鏡 英雄たちの実像』正誤表(xml版)

注)
ご覧になる方の環境によっては、本ブログの諸葛の「葛」の字が本来の字と異なってしまうこともあるかと思いますが、ご容赦ください。

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2008-07-20 11:53:24

拝受(2008/07/19) [ 新着・新収 ]

森本 淳〔著〕「後漢末の涼州の動向」
(中央大学東洋史学研究室(編)『池田雄一教授古稀記念アジア史論叢』 白東史学会 2008年)

 長沙呉簡研究会例会で、森本先生よりいただく。個人的には、準備されているという続編とともに拝読したいと感じた。

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2008-07-18 23:20:00

『小学生に授業』 [ 『三国志』関連書籍等紹介 ]

河合隼雄・梅原猛〔編著〕『小学生に授業』
(小学館 小学館文庫 1998年 ISBN 4-09-402451-4)

 本書は、国際日本文化研究センターの先生方が、センターの隣にある京都市立桂坂小学校の5・6年生に対して行った授業のビデオに記録し、それを元にまとめて活字化したものである(本書287頁 「本書のプロフィール」参照)。当時の桂坂小学校の村田喬子校長先生が河合隼雄国際日本文化研究センター所長(当時)に「日文研の先生方に小学校で授業をしていただきたい」と依頼をしたことがきっかけであったそうである(本書3頁 「はじめに―日本の教育に、新しい風を」参照)。
 目次を見ると、梅原猛同センター顧問が「学問の楽しさ」、山折哲雄同センター教授が「宮沢賢治」、河合隼雄同センター所長が「道徳」、尾本恵市同センター教授が「自然に学ぶ」、芳賀徹同センター教授が「俳句」、木村汎同センター教授が「交渉」、山田慶兒同センター教授が「時を計る」、安田喜憲同センター教授が「地中の花粉」という授業を担当されているが、ここでは本ブログの趣旨に沿って、井波律子同センター教授の「『三国志』」に関する部分を取り上げて紹介したい。

 井波先生の「三国志」の授業は、1996年9月30日に京都市立桂坂小学校5年4組に対して行われたものである。最初に自己紹介をされた後、『三国志』には歴史と小説の2つの話があることを述べ、正史『三国志』が「三国志」の時代が終わったちょっとあとに陳寿によってまとめられていること、その『三国志』は「魏書」「呉書」「蜀書」の三つにわかれていること、それらは時代順に書かれているのではなく、人物の伝記が並べられる「列伝体」になっていたことが述べられている。
 その後、後漢の終わり頃に世の中がめちゃくちゃになってきた時に黄巾の乱という反乱が起き、それが収まった後に董卓の乱が起きたとされる。その董卓に対して、都の洛陽を出て地方で兵を集め自身の勢力をのばした群雄が手を組んで対抗するが、董卓のもとにいた呂布が強くていかなかったとし、その呂布が今度は董卓とうまくいかなくなって董卓を殺し、さらに群雄が互いに戦っていく時代に突入して、特に黄河を中心にした華北が戦乱に巻き込まれていくことを簡単な地図を書きながら説明しておられる。
 華北の群雄の戦いを勝ち残った袁紹と曹操が、華北の支配権をめぐって戦い、曹操が勝利する(官渡の戦い(200年))。曹操は戦争が強いだけでなく、政治・経済に詳しい優れた才能を持っており、人々の意見をよく聞き入れたと述べ、本来曹操よりも強大な軍事力を誇っていた袁紹は家来を信用できず、軍師・荀のような人材に見放されていったために滅んだとし、武力の時代でも軍事力だけでは決まらないことを強調されている。
 華北を統一した曹操は南を攻めるが、ここで待ったをかけたのが劉備と孫権である。劉備は特に才能はないけれどなんとなく魅力のある人物だと紹介され、豪傑の関羽と張飛が仕えており、華北である程度の力を持ったが、曹操と対立して華北にいられなくなり、荊州に逃げてきたとされる。その荊州で劉備は諸葛亮という優れた軍師を得たが、そのようなときに曹操が百万の軍勢と共に南下した。長江の南東の江東を支配していたのが、父の孫堅、兄の孫策の後を継いだ孫権で、その配下は曹操に降伏するか戦うかで論争が起こるが、結局劉備と組んで赤壁の戦いで勝利する。ここで面白いのは、曹操・劉備・孫権の「軍師」としてそれぞれ荀・諸葛亮・周瑜が挙げられていることである。この時点での曹操の「軍師」としては荀以外にもいろいろと挙げることができるだろうが、小学生にとっての分かりやすさを考えると、このようなまとめ方も良いのではないかと思う。
 赤壁の戦いの後、誰が荊州を支配するかでもめ、周瑜の急死によって劉備のものとなり、その後劉備は蜀を攻め取り重点を移すが、荊州を任せていた関羽が孫権と仲たがいして殺され、荊州は孫権の支配下に組み込まれたとされ、魏・呉・蜀の三国時代が始まったとされている。
 この後は駆け足で概説され、曹操の死と魏王朝の成立、少し遅れて蜀王朝と呉王朝の成立、劉備の死と諸葛亮の「北伐」がさらっと触れられ、「北伐」がうまくいかずに諸葛亮が亡くなり、最終的には諸葛亮のライバル・司馬懿の子孫が西晋王朝をたてて統一すると述べておられる。
 最後に、歴史書の『三国志』をもとに芝居や講談が成立し、講談などでは話をお客に合わせて面白おかしく作り変えるようになる。そのような中で、敵役としての曹操、善玉の劉備の役割分担が成立し、いろいろな「三国志物語」ができてくると述べ、最終的に14世紀の終わりに、それらの「三国志物語」をまとめた『三国志演義』という本ができてくる。吉川英治の『三国志』もこれがもとだと述べられており、いずれ皆さんも正史の『三国志』や『三国志演義』の全訳に、機会があれば挑んでほしいという旨の話をされて終わっている。

 本書に登場する「授業」について、河合氏は「どの授業も、皆張り切りすぎで少し要求水準が高かった感じがする」(本書4頁 「はじめに―日本の教育に、新しい風を」参照)と述べられているが、筆者も同感である。しかし、学問的な研究課題として取り組んでこられた事柄を小学生にもわかるように伝えていこうという、このような取り組み自体が本当に重要であり、素晴らしいことだと思う。筆者にとって非常に参考になる一書である。

おススメ度:★★★★☆

注)
ご覧になる方の環境によっては、「葛」の字が本来の字と異なってしまうこともあるかと思いますが、ご容赦ください。

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2008-07-12 22:00:00

拝受(2008/07/12) [ 大三国志展 ]

東京富士美術館〔編集・発行〕満田 剛〔監修〕
『大三国志展カタログ』
(東京富士美術館 2008年5月3日第1刷 2008年7月3日第2刷)

 本日、たまたま美術館に伺った際に頂戴する。誤植などを修正したものである。東京富士美術館の皆様、本当にありがとうございました。

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2008-07-08 20:20:00

中国中央電視台で「大三国志展」を紹介する番組 [ 大三国志展 ]

 2008年5月18日に、中国中央電視台の科学教育チャンネルの特別番組で、東京富士美術館と「大三国志展」が紹介された(東京富士美術館HPの「トピックス」でも取り上げられている)。
 最近、中国からの留学生の方から、インターネットでその番組を見ることができると伺い、早速そのURLをお教えいただいて、拝見した。実は、その番組の中で私もインタビューされている。自分の映像を見てみるとなかなか恥ずかしいが、いろいろな関係者の方に喜んでいただければ、と思う次第である。
 動画の所在であるが、

 中国中央電視台(CCTV)のHP→TV大社区→大活動

といっていただいて、「活動全紀録」という部分の「大事件」という欄に「中国记忆(中国記憶)」とあるので、ここをクリックしていただきたい。立ち上がってきたページの下のほうに「日本三国大展」という項目があり、そこにいくつか存在している。その中の「星落秋風五丈原」というタイトルの動画に筆者が出ている。お時間のある方はご覧いただきたい。

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2008-07-02 23:20:00

諸葛亮のいわゆる「第二次・第三次北伐」について [ 余滴 ]

 渡邉義浩〔著〕『「三国志」軍師34選』(PHP研究所 PHP文庫 2008年)191頁には、次のようにある。

 第二次北伐は、郝昭の守る陳倉を攻撃しましたが陥落せず、曹真の援軍が押し寄せたため兵を引きました。ただ、これは武都郡・陰平郡を攻めていた陳式のための陽動作戦でした。退却の際、曹真の先鋒である王双を倒した諸葛亮は、陳式を迎え撃った郭淮を退け、二郡を手に入れます。これを第三次北伐といいますが、第二次北伐とは一連の戦役です。

 この文章を見ると、渡邉先生は諸葛亮の陳倉攻撃を陳式のための陽動作戦とされているが、史料を読む限り、諸葛亮軍と陳式軍のどちらが陽動軍であったかは判然としないと考えるので、ここまでは断言はできないと筆者は思ってしまう。両方とも「主要部隊」であり「陽動部隊」でもあったという可能性を考えた方が良いと思うのだが、どうだろうか。
 ただ、戦役の時期から見ると、渡邉先生のおっしゃるように、この第二次・第三次北伐が連動した戦いであった可能性は高いだろう(もちろん、全く関係がなかった可能性もあるにはあるが、そのような見解を強調することは難しいと思う)。管見の限り、これまでの書籍では(拙著もふくめて)このような記述はないので、非常に有益な指摘だと考えている。

注)
ご覧になる方の環境によっては、「葛」の字が本来の字と異なってしまうこともあるかと思いますが、ご容赦ください。

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2008-06-30 12:10:00

『SDガンダム三国伝 風雲豪傑編』 [ 『三国志』関連書籍等紹介 ]

矢立肇・富野由悠季〔原作〕ときた洸一〔漫画〕
『SDガンダム三国伝 風雲豪傑編』
(講談社 2008年第1刷  ISBN978-4-06-375502-2)

 以前、書籍紹介として取り上げた『SDガンダム三国伝 風雲豪傑編』,汎瑛佑法∨椽颪蓮愡姐饂屐戮縫劵鵐箸鯑世討泙箸瓩蕕譴拭SDガンダムたちによる『三国志』の芝居」という設定のマンガのようである。
『SDガンダム三国伝 風雲豪傑編』,紡海本書の内容であるが、戦場となっている虎牢城に孫権ガンダム(ガンダムGP03)・孫尚香ガーベラ(ガンダムGP04)が参戦してくるが、孫権ガンダムは「正義が人の命よりも大事なのか」と疑問を持っている。そんな中、呂布トールギスと孫堅ゼフィランサスが戦っているところに劉備ガンダム・関羽ガンダム・張飛ガンダムが加わる。呂布トールギスの攻撃を避けようとした孫堅ゼフィランサスは、見境もなく突っ込んでくる孫尚香ガーベラを止めようとして呂布トールギスの攻撃をもろに受けてしまい絶命。父と重臣・祖茂パワードジムの死に衝撃を受けた孫権ガンダムが虎牢城に隠されていた天玉鎧・弩虎を呼び覚まして合体し、董卓軍らをなぎ倒し虎牢城も崩壊させる。
 虎牢城を落とされた董卓ザクは李儒シャッコーの進言を受け入れて雒陽を住民ごと焼き払って郿宇城まで撤退。その惨状に衝撃を受けた孫権ガンダムは正義の名のもとでの戦場での殺戮に涙するが、曹操ガンダムの「天玉鎧を董卓ザクが手に入れたら貴様の故郷も民もこの廃墟のようになる」との言葉を聞いて戦うことを決意し、反董卓軍は郿宇城に向かう。
 孫権ガンダムと合体した天玉鎧・弩虎の攻撃で傷を負った呂布トールギスは、戦いを求めて郿宇城から出陣。曹操ガンダム・孫尚香ガーベラ・劉備ガンダム・孫権ガンダムらと死闘を繰り広げるが、李儒シャッコーは弩を乱射して反董卓軍・呂布軍を無差別攻撃し、その結果貂蝉キュベレイなどが戦死。李儒シャッコーの傍若無人ぶりを見かねた董卓軍の徐晃サーペントは李儒シャッコーを殺害するが、董卓ザクも無差別攻撃を開始。そのような中でも呂布トールギスは純粋に龍帝剣を持つ劉備ガンダムとの戦いを望むが、「お前を倒すのは俺だ」と言って董卓ザクの攻撃から劉備を守って倒れる。劉備ガンダムは董卓ザクとの直接対決に向かい、天玉鎧・蒼龍とともに郿宇城を崩壊させる。逃げる董卓ザクは戻ってきた呂布トールギスに殺されて戦いは終わり、玉璽は袁紹バウのもとへ。呂布トールギスは行方不明、張遼ゲルググ・徐晃サーペントは曹操ガンダムに仕えることになり、劉備ガンダムたちはさらなる旅に出るところでこの巻は終わる。
 その後、特別編としてオリジナルストーリーの「江東の弓腰姫 孫尚香!」が載せられている。董卓ザク軍を倒して数ヵ月後、長沙付近で水賊が長江流域の村を襲った。孫堅ゼフィランサスが退治した胡玉ハイドラが董卓ザクの死を受けて活動し始めたのである。周瑜ヒャクシキがわざと水賊に捕まり、周瑜ヒャクシキの捨て身の作戦に気づかない孫尚香ガーベラは見習いの陸遜ゼータプラスを連れて水賊の船に入り込み、周瑜ヒャクシキと大暴れ。周瑜の作戦に気づいた孫策サイサリス(ガンダムGP02)は孫権ガンダムとともに戦闘態勢を整え、周瑜ヒャクシキが陸におびき出した水賊を叩き、父・孫堅ゼフィランサスの死を乗り越えた孫尚香ガーベラが胡玉ハイドラにとどめを刺したのである。
 『SDガンダム三国伝 風雲豪傑編』,両匆陲任盻劼戮燭、『三国志』や『三国志演義』の内容・エピソードを踏まえ、SDガンダムのキャラクターを生かしてここまでのストーリーを作り上げたことにとにかく脱帽である。『三国志』・『三国志演義』の内容にも、ガンダムストーリーにも敬意を払った上でつくりあげられたこのような「物語」は好感が持てる。これはこれで、『三国志』をモチーフとした物語として非常に良い作品だと思う。

おススメ度:★★★★★

注)
ご覧になる方の環境によっては、文字が化けてしまうこともあるかと思いますが、ご容赦ください。

『SDガンダム三国伝 風雲豪傑編』 | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)

2008-06-28 00:55:00

『三国志 曹操伝』 [ 『三国志』関連書籍等紹介 ]

別冊宝島編集部〔編〕『三国志 曹操伝』
 (宝島社 宝島社文庫 2005年 ISBN 4-7966-4997-2)

 本書は別冊宝島『三国志曹操孟徳伝』(宝島社 2003年 ISBN 4-7966-3305-7)に加筆・修正を行い改題・改訂したものとのことである(本書カバー参照)。
『三国志曹操孟徳伝』の方では、カラーページの巻頭特集で「『蒼天航路』の魅力」と題する文章がまとめられている。曹操をはじめ、劉備・孫権などのライバルや夏侯惇などの配下の人物を取り上げて分析されており、2003年時点でのまとめとしては非常に面白いと思う。
 本書では、最初に詳細な三国時代の地図があり、曹操の戦場となった場所も示してあるのが読者にはありがたいだろうと思う。その後、「曹操の実力 実像編」として、井波律子先生の「曹操の人間像」・「賢婦に恵まれた英雄」、關尾史郎先生の「宦官曹騰の孫 曹操に現れる影」、渡邉義浩先生の「名士との交流 曹操の士官(ママ)」、坂出祥伸先生の「曹操に疎まれた幻術者 左慈・華佗」といった諸先生方の文章が載せられているが、それぞれの先生方の見識が簡潔にまとめられており、歴史上の曹操に迫っていくための基本的知識を提供していただいていると思う。
 その他、別冊宝島編集部の「曹操に覇をもたらした基盤「屯田制」」、天野一男氏の「最精強部隊「青州兵」と「兵戸制」の導入」、吉田龍司氏の「不仁不孝でも治国用兵 貪欲に人材を求める曹操」といった文章が並んでおり、これもよくまとめられている。
 「曹操の実力 戦闘編」では、「三国時代の軍事力」と題して当時の軍の編成、国力比較、軍律と傭兵、武器と武具について述べた上で、黄巾の乱以来の曹操の戦いの進軍ルートや布陣の様子、戦況をまとめている。個人的には武器・武具の説明が簡潔にまとめられていて面白いと感じた。
 そして最後に坂田新先生へのインタビュー「魏武注「孫子」に曹操の強さを探る!」が掲載されているが、「理ある兵法が現在に残る」と述べられ、曹操の『兵書接要』の断片(『太平御覧』巻11)には「大軍が進撃を開始する日に、雨が降って将兵の衣冠が濡れた場合、その軍には勝利がもたらされる」などとあり、このような内容だから『兵書接要』は後世に伝わらなかったと述べておられる。また、坂田先生は『孫子』注に現れている合理的思考は曹操の一面にすぎず、今日伝わっている文献からは実像は分からないとされているが、これには一理あると筆者も考えている。
 曹操に関する書籍としては、一見の価値があるものだと思う。石井仁先生の『曹操―魏の武帝』(新人物往来社 2000年)に加えて読むと良いだろう。

おススメ度:★★★★☆

追記)
ここで、とりあえず筆者が気づいた誤りを指摘しておきたい。本書41頁の最後の行が「はるかに高いもの」で終わっているが、これはもう少し文章が続くだろう。また、102頁の「渠水」は「渠帥」と思われる。



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2008-06-25 23:30:00

『トリックスター群像 中国古典小説の世界』 [ 『三国志』関連書籍等紹介 ]

井波律子〔著〕『トリックスター群像 中国古典小説の世界』
  (筑摩書房 2007年 ISBN 978-4-480-83905-3)

 本書は「道化者、悪戯者、ペテン師、詐欺師等々の要素を合わせもち、ときには老獪かつ狡猾なトリックを駆使して、既成の秩序に揺さぶりをかけ攪乱する存在」(本書3頁 序章)とされるトリックスターが、「中国古典長編小説の物語構造において大きな役割を果たしている」(本書3頁 序章)ことを検討しながら、中国古典小説の流れをたどったものである。
 本ブログの趣旨に沿って、ここでは主に『三国志演義』に関する部分を取り上げて、本書を紹介したい。
 本書で『三国志演義』を取り上げているのは第1章である。まず、『三国志演義』の原型の一つである『新全相三国志平話』(陳寿)でのトリックスターとして張飛が取り上げられている。ここでの張飛は「荒れ狂う純粋暴力の化身」(本書25頁)としての一面を持ちつつ、「大事な場面で泥酔し、大ポカをやらかすなど、ときとして底抜けの愚かしさを見せつけ、聴衆の笑いを誘」(本書26頁)う一面をも持っていて、「『平話』の物語世界を終始一貫、騒々しく揺さぶり、攪乱しつづける」(本書29頁)と著者は指摘している。
 その後、『三国志演義』での張飛は中心的なトリックスターではなくなり、代わって曹操がその役割を担うことになったとされる。『三国志演義』での曹操は中心人物である劉備の敵役であり悪玉であるが、悪玉としての狡猾な一面とともに、大敗を喫するなどの大ポカを演じる道化性を持っており、トリックスターの役割を担っていたのである。
 そして、曹操の没後、諸葛亮が「ひとりで中心人物とトリックスターの役割を兼ねる」(本書43頁)とされる。諸葛亮は講談などの世界から超能力者・魔術師としての役割を持ち、風を呼び雨を呼ぶなどの幻術を駆使するトリックスターであると同時に、「正統派の誠実無比の軍師」(本書46頁)として物語の中心人物でもあったとされる。
 その他、『三国志演義』でトリックスターの役割を果たした人物として著者が挙げているのは、「連環の計」で貂蝉に翻弄される董卓、諸葛亮に先手をうたれ続けて馬鹿を見る道化役の周瑜、『三国志平話』に比べて役割が小さくなっている張飛である。このように、中心的な大トリックスターと局面ごとに波紋をよぶ多様なトリックスター群を配することで、物語を活性化したと見られる。
 このように、トリックスターという視点から『三国志』を読んでみるというのも非常に興味深い。小説の世界をのぞきみるためにはとても良い書籍であろう。

おススメ度:★★★★★

注)
ご覧になる方の環境によっては、「葛」の字が本来の字と異なってしまうこともあるかと思いますが、ご容赦ください。

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2008-06-24 23:59:00

刊行(2008/06/24改訂版) [ 宣伝 ]

このたび、以下の書籍を出版しました。

満田 剛〔著〕『三国志万華鏡 英雄たちの実像』
(未来書房 三国志リブレット 2008年
   ISBN 978-4-902086-10-2) 定価1000円(税込)
『「三国志」万華鏡 英雄たちの実像』

(画像をクリックしていただければ、拡大写真になります。)
 本書はリラックスしながら読んでいただけるように、第一章で中国・三国時代とはどのような時代かを簡単にまとめた上で、各章ごとに主に人物を中心にし、『三国志』に関するエッセイとしてまとめてみました。したがって、第一章を読んでいただいた上で、ご自身の興味のある章から読んでいただけるようになっています。文章もできるだけわかりやすく読めるように心がけたつもりです。なにとぞよろしくお願い申し上げます。


以下のショップ・書店などで販売しております。

・東京富士美術館ミュージアム・ショップ
・博文堂書店信濃町店(JR信濃町駅前トーシン・ビル1・2階)
・大阪書店
  (JR・京阪京橋駅から徒歩1分、京橋駅前チョップタウン)
・博文堂書店ミナミ店
  (大阪市営地下鉄堺筋線日本橋駅から徒歩1分、ナンバウォーク内)
・博文堂書店新大阪店
  (大阪市営地下鉄御堂筋線西中島南方駅北口徒歩2分、新御堂筋ビル)

三国志エンタメ情報三国志グッズ「英傑群像」三国志万華鏡 英雄たちの実像


 なお、筆者に直接ご注文いただく際には、お名前、ご住所、お電話番号をメールで次のアドレスにお送り下さい。

 sangokushilibretto@hotmail.co.jp

金額は送料込みで1210円です。


目次は次の通りです。

  まえがき
  第一章 中国・三国時代とは
  第二章 英雄たちの実像―情に厚い曹操、「計算ずく」の劉備、人事にたけた孫権
  第三章 諸葛亮(諸葛孔明)の「天下三分の計」について
  第四章 魏の「お気に入りのライバル」―蜀漢
  第五章 曹沖―曹操の「幻の後継者」
  第六章 呉の隠れた名将―朱然とその一族
  第七章 歴史家の明と暗―王沈、韋昭、そして陳寿
  第八章 『三国志』に関する書籍紹介
  あとがき

※本書をご注文いただく際に頂く個人情報やその他ご意見やご要望をいただく際に知りうる個人情報について、 その目的以外に使用することはございません。またそれら個人情報は、法に基づく資料開示でない限り、個人情報対象者に断りなく、第三者へ開示、提供することはございません。

追加)
本書の正誤表(2008年6月24日版)をアップしておきます。よろしくお願い申し上げます。
『「三国志」万華鏡 英雄たちの実像』正誤表(2008年6月24日版)
※前回のxmlファイルがうまく表示されない、とのお話がありましたので、htmlファイルにしてみました。念のため、xml版もアップしておきます。
『「三国志」万華鏡 英雄たちの実像』正誤表(xml版)

注)
ご覧になる方の環境によっては、本ブログの諸葛の「葛」の字が本来の字と異なってしまうこともあるかと思いますが、ご容赦ください。

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2008-06-23 22:24:06

新着(2008/06/23) [ 新着・新収 ]

『史学雑誌』117―5(2008年5月 0018-2478)

 「2007年の歴史学界―回顧と展望」である。とりあえず、ゆっくりとではあるが目を通しておきたいと思う。

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2008-06-20 20:55:00

購入(2008/06/20) [ 新着・新収 ]

(宋)袁枢〔著〕柏楊〔編訳〕
『諸葛亮北伐挫敗』
(吉林文史出版社 柏楊版『通鑑紀事本末』9 2000年 ISBN 7-80626-550-3)
成都市諸葛亮研究会・成都武侯祠博物館〔編〕
『諸葛亮与三国文化』第2輯
(四川科学技術出版社 2004年 ISBN 7-5364-5626-3/K・78)

書虫から。とりあえず手元に置いて読んでみようかと思い、購入。

注)
ご覧になる方の環境によっては、「葛」の字が本来の字と異なってしまうこともあるかと思いますが、ご容赦ください。

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2008-06-18 15:55:00

『三国志と日本人』 [ 『三国志』関連書籍等紹介 ]

雑喉潤〔著〕『三国志と日本人』
  (講談社 講談社現代新書 2002年)

 本書は、陳寿が著した歴史書の『三国志』から裴松之の注が作られ、それらをもとにした講釈や芝居を経て小説『三国志演義』になっていく過程において、日本史の時代ごとに何らかの形でその過程の影響を受け続け「「いつも『三国志』があった」状況をたど」(本書8頁 序―父祖代々の三国志)り、現代の『三国志』の受容のあり方までまとめた書籍である。
 内容を見ると、まず第1章で『日本書紀』における『三国志』の影響をまとめておられるが、「一書に曰く」という注の様式が『三国志』裴松之注にそっくりであることや、「『三国志』の文章を、固有名詞をそっくり入れ替えて借用している箇所」(本書30頁)がしばしば見受けられることを指摘されていること、それらを行ったのが渡来人たちの仕事であったと推測されていることなどが興味深い。また、『三国志』を引用して神功皇后を卑弥呼としていることも述べられている。
 さらに、山上憶良や大伴旅人らが『三国志』に関する文章や和歌を残していることも述べられているが、彼らについては『三国志』に直接あたったのではなく、『芸文類聚』を参照していたであろうことも述べられている。
 第2章では、平安時代の軍記物語には『三国志』からの引用は皆無である(九条兼実の日記・『玉葉』寿永2年8月13日の項には「大略天下の体、三国史のごときか」とあることは指摘されている)ことを述べられた上で、日本ではじめて歴史書『三国志』及び裴松之注をかなり読み込んで、引用などで大量に活用した物語として『太平記』を取り上げられている。『太平記』における『三国志』からの引用や『三国志』に関する逸話の引用などをまとめていただいているのは、大変ありがたい。
 第3章では、『三国志平話』や『三国志演義』の成立についてまとめられた上で、『三国志演義』が湖南文山(京都・天竜寺の義轍・月堂兄弟のペンネーム)によって日本語訳されたことや湖南文山訳の特徴や魅力について述べた上で、滝沢馬琴の『椿説弓張月』や『南総里見八犬伝』への『三国志演義』の影響についてまとめておられるが、これも引用などの実例を数多く挙げておられるのは、大変ありがたい。また、『南総里見八犬伝』第百六十一回で『三国志演義』の「孔明箭を借る」の故事は『新唐書』第百九十二忠義列伝にある唐の張巡の故事による、と犬川荘介に語らせているが、このことを「実証した人が馬琴の前にあったということは聞かない」(本書108頁)と著者が述べられているのも非常に興味深い。
 第4章で明治以降の『三国志』に関する作品として、内藤湖南『諸葛武侯』・土井晩翠「星落秋風五丈原」が、第5章で日本版『演義』である吉川英治『三国志』、曹操を再評価した吉川幸次郎『三国志実録』、著者が「専門家も及ばない鋭い指摘が多い」とされる花田清輝『随筆三国志』が取り上げられている。特に吉川英治の視点からの人間分析がもっとも多く現れるのが曹操に対してであること、吉川英治が最期を熱っぽく描写しているのは曹操と諸葛亮であること、吉川英治の『三国志』の人物観は「篇外余録」に尽きていることを指摘されているのは面白く、それらは首肯できる見解だと思う。
 第6章では、柴田錬三郎『英雄ここにあり』と陳舜臣『秘本三国志』、野村愛正『三国志物語』、横山光輝のマンガ・『三国志』を取り上げた上で、人形劇からコンピュータゲームまで、2002年時点での最新情報をまとめておられる。
 ここまで述べてきたことを総ざらいしていただいた本著作が、日本で『三国志』に関する研究をする者にとって非常に有益であることは一目瞭然である。『三国志』に興味のあるものにとっては、必読の一冊であろう。

おススメ度:★★★★★(もっと付け足したいほどである。)

補足)
『「大三国志展」カタログ』には、著者が「『三国志』と日本人―「大三国志展」にちなんで」と題する一文を寄稿されており、本書の内容を簡潔にまとめ、三国志学会についても指摘されている。

注)
ご覧になる方の環境によっては、「葛」の字が本来の字と異なってしまうこともあるかと思いますが、ご容赦ください。

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2008-06-14 13:07:23

新収(2008/06/14) [ 新着・新収 ]

古典研究会〔編〕『汲古』53(ISSN 0289-2693)
『汲古書院図書目録』2008.5

汲古書院より。

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2008-06-11 20:55:00

『「三国志」の人物学』 [ 『三国志』関連書籍等紹介 ]

守屋洋〔著〕『「三国志」の人物学』
(PHP研究所 1984年第1版第1刷,1990年第1版第29刷 ISBN 4-569-56015-6)

 本書は1981年にPHP研究所から出版された同名書籍の文庫版であり、「『三国志』の魅力を、主な登場人物の実像を通してえがこうとしたもので」(本書5頁 文庫版への序文)、「ビジネスマン、とくに管理職の人たちを念頭におき、現代を生きるうえでの一助にでもしていただければというのが」(本書5頁 文庫版への序文)著者の意図だとのことである。また、本書は正史の記録にもとづいて人間学的側面を取り上げることに努めたとも著者は述べられている(本書8頁 まえがき)。
 本書の序章では「『三国志』の人間関係学」と題して、英雄としての曹操と劉備、著者曰く「二流の人」である孫権と袁紹、「悲劇の補佐役」である沮授と荀、好敵手の諸葛孔明(諸葛亮)と司馬仲達(司馬懿)について、それぞれを比較しながらまとめている。その後、「トップの人物学」として袁紹・曹操・曹丕・劉備・孫権を、「参謀役の人物学」として荀・賈詡・司馬仲達(司馬懿)・諸葛孔明(諸葛亮)・関羽と張飛・蔣琬と費禕・周瑜・呂蒙・陸遜・諸葛恪を、「奇矯の人物学」として禰衡・阮籍と嵆康・華佗・左慈と管輅を取り上げている。
 内容を見ると、正史の記述をオーソドックスに読んだ上で述べられている部分が多く、これはこれで「確かにこのような見方はできる」と思う箇所が多い。それに、1980年代前半において、『三国志』における参謀役として蔣琬と費禕や諸葛恪を取り上げているのは珍しいのではないかと思う。この人選はなかなか興味深い。また、「奇矯の人物学」という章を立てておられることも非常に面白いと思う。
 2008年の時点から見れば、いろいろと考えてしまうような内容もある。例えば著者は、孫権は天下取りの意志が弱く、「ほぼ一貫して脇役の地方政権に甘んじた」(本書83頁)と述べられている(本書82〜83頁参照)。確かにその通りだと筆者も思うが、その背景として異民族である山越が呉を悩ませていたことや、孫策や諸葛恪のように「北伐」を主張する人々が暗殺に倒れるケースがあったということを考慮する必要がある。さらに、地方政権に甘んじた理由として、呉の人々も感じていた正統性の弱さも考えなければならないだろう。単純に孫権自身の評価に結びつけるのは難しいのではないだろうか。
 また、蔣琬・費禕を守成型人間として述べられている(本書146〜156頁参照)が、費禕はともかく蔣琬については「守成型人間」として評価することに筆者は疑問を抱いており、論文としてまとめたことがある(「諸葛亮歿後の「集団指導体制」と蔣琬政権」(『創価大学人文論集』第17号 2005年)・「蜀漢・蔣琬政権の北伐計画について」(『創価大学人文論集』第18号 2006年))。
 ともあれ、本書はビジネスマン向けでありながら、『三国志』や『後漢書』といった正史や他の史料の内容をしっかりと踏まえて『三国志』の人物を扱った書籍として有益なものだと思う。

おススメ度:★★★★☆

注)
ご覧になる方の環境によっては、「葛」・「禰」・「嵆」の字が本来の字と異なってしまうこともあるかと思いますが、ご容赦ください。

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2008-06-07 12:03:38

購入(2008/06/07) [ 新着・新収 ]

于濤〔著〕鈴木博〔訳〕『実録三国志』
  (青土社 2008年 ISBN 978-4-7917-6411-2)

Amazon.co.jpから。于濤〔著〕『三国前伝―漢末群雄天子夢』〔図文本〕(中華書局 2006年)の全訳であるということで、興味を持った。とりあえず、じっくりと読んでみたい。

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2008-06-07 00:00:01

『SDガンダム三国伝 風雲豪傑編』 [ 『三国志』関連書籍等紹介 ]

矢立肇・富野由悠季〔原作〕岸本みゆき〔構成〕ときた洸一〔漫画〕
『SDガンダム三国伝 風雲豪傑編』
(講談社 2007年第1刷,2008年第2刷 ISBN978-4-06-372391-5)

 本書は、『三国志』にヒントを得てまとめられた「SDガンダムたちによる『三国志』の芝居」という設定のマンガのようである(カバーに描かれた劉備ガンダムを見ると、「CAST:RX-78-2 GUNDAM」と紹介されている)。
 本書の内容を大まかにまとめると以下のようになる。まず、盧植ジムキャノンに鍛えられた劉備ガンダム(いわゆる“ファースト・ガンダム”)が、盧植を馬元義ザク率いる董卓ザク(ザク機坊海暴莊困気譴燭里魴正,法董卓ザク軍の暴虐に苦しむ祖国・三璃紗の民を救うために立ち上がるところから描かれる。その後、劉備ガンダムと関羽ガンダム(ZZガンダム)・張飛ガンダム(Zガンダム)の出会いから、(なぜか董卓ザク軍に属している)黄巾賊の張角パラスアテネ・張宝ポリノークサマーン・張梁メッサーラ(合体して黄天ジ・オになる)との戦いや呂布トールギスとの死闘、そして「桃園の誓い」に進んでいくことになる。さらに、配下の呂布トールギスに霊帝ガンダムを暗殺させていた董卓ザクを倒すため、曹操ガンダムダブルエックスが呼びかけ、孫堅ゼフィランサスなどが参加する反董卓連合軍が結成され、袁紹バウが盟主となる。そして、首都・雒陽(あえてこの「雒」の文字を使うというところは、『三国志』巻二文帝紀裴注所引『魏略』などに学んだ部分なのだろう)を守る虎牢城をめぐって典韋アッシマーや華雄ザンネック、張遼ゲルググらが入り乱れて死闘を繰り広げ、その中でライバルとなる曹操ガンダムと劉備ガンダムが出会うことになるのである。
 公式HPの三国伝年表によると、盧植の処刑が388年、桃園の誓いが389年になっており、いわゆる『三国志』の年代から約100年遅れていることになる(当然、『三国志』・『三国志演義』では盧植は処刑されていない)。しかも桃園の誓いの部分ではご丁寧に

(桃園結義、もしくは桃園の誓いとして有名な場面。ただし、三国伝内の創作とする説が有力である。正史における劉備の出自は不明だが、筵を売って三璃紗を旅していたという説もある。)

と述べられている(ということは、三璃紗の正史があるという設定なのだろう)。
 ガンダムについては、筆者は「逆襲のシャア」ぐらいまでしか見ていないので、本書に出てくるモビルスーツはよくわからないものが多い。それに、厳密に言えば、ストーリー展開も正史『三国志』・『三国志演義』とは異なっている。
 しかし、正史『三国志』や『三国志演義』などを踏まえた上で、ガンダムのキャラクターを生かしてここまでのストーリーを作り上げたことには、素直に脱帽するしかない。特に5歳の長男は夢中になっており、このマンガとプラモデルのおかげで少なくとも「りゅうび」「かんう」「ちょうひ」「りょふ」「こうめい」「しばい」は覚えてしまった。ご近所の子どもたちも「大三国志展」に展示されたこのシリーズのプラモデルにかなりハマっているところからすると、子どもたちへのガンダムの威力は絶大である。おそらくは子どもたちの間で『三国志』のファンも、ガンダムのファンも増えていくことだろう。
 東京富士美術館「大三国志展」では、このSDガンダム・三国伝のジオラマが展示されている。そのジオラマの側で主題歌を流しているビデオが上映されているが、日本語版と中国語版がある。BB戦士と『三国志』を組み合わせた目的の一つとして、「ガンダムシリーズをこれまで以上に中国で普及させる」ということがあるのだろう。この「三国伝」は、そのための最高の切り札ではないかと思う。
 正史『三国志』や『三国志演義』などと細かく比較せず、これはこれで現代日本における『三国志』の受容と展開の一例だと思えば、非常に面白く読むことができるだろう。小さな子どもたちも交えて、家族で読むことができる『三国志』をモチーフにした物語としておススメである。

おススメ度:★★★★★

追記)
 ちなみに、孔明はリ・ガズィというZガンダムの量産型であるが、これは孔明には役不足だな、と思っていたところ、孔明リ・ガズィのプラモデルを買うと、口の部分の部品としてガンダムのものも入っていた。ということは、ガンダムに変身するのだろうか?ライバルになるであろう司馬懿がサザビーというのが、ヒントなのかもしれない。
 ということは、ガンダムシリーズの内容を理解しておいた方が、登場人物を「演じる」モビルスーツの性格もわかりやすいということであろう。これは筆者にはなかなか難しく、高校で世界史を教えている生徒さんで、ガンダムシリーズに詳しい方からいろいろと教わっているのが現状である。

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2008-06-02 21:12:17

『横山光輝「三国志」大百科 永久保存版』 [ 『三国志』関連書籍等紹介 ]

潮出版社コミック出版部〔編〕
『横山光輝「三国志」大百科 永久保存版』
  (潮出版社 2003年 ISBN 4-267-01677-1)

 本書は横山光輝〔著〕『三国志』(以下、横山『三国志』と略す)について、様々な視点からいろいろな場面を取り上げてまとめたものである。
 最初に諸葛亮(孔明)の特製セル画仕様シートがあるが、これはファンにはたまらないものなのだろう。「感動そのまま早わかり三国志」と題する章は横山『三国志』のダイジェスト版であり、大まかな流れがこれでわかるのは非常に良いと思う。さらに主要人物30人、30の名場面、武将の決闘10番、物語上重要な合戦、戦略・戦術・策謀、そして「英雄たちの最終章」と題して登場人物の逝去のシーンを取り上げている。さらに、横山『三国志』に登場する女性や名セリフ、雑学、故事・ことわざもまとめられているが、個人的には『三国志演義大事典』を参考にした「三国志地名事典+名城」は、なかなか使い勝手が良いと感じた。その他、横山『三国志』の人物事典や年表もあるが、タイや中国での三国志人気投票があるのは興味深い。さらに、付録のDVD「横山光輝「諸葛孔明 北伐のルートを行く」」も、1985年の映像ではあるが、蜀の桟道などの様子を見ることができるという意味ではなかなか面白いだろう。
 本書は、横山『三国志』のファンの方、興味のある方にとっては必読書だと思う。

おススメ度:★★★★☆(横山『三国志』のファンの方には★5つである。)

注)
ご覧になる方の環境によっては、諸葛の「葛」の字が本来の字と異なってしまうこともあるかと思いますが、ご容赦ください。


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2008-06-01 23:18:15

『三国志演義大事典』 [ 『三国志』関連書籍等紹介 ]

沈伯俊・譚良嘯〔編著〕立間祥介・岡崎由美・土屋文子〔編訳〕
『三国志演義大事典』
  (潮出版社 1996年 ISBN 4-267-01238-5)

 本書は沈伯俊・譚良嘯〔編著〕『三国演義辞典』(巴蜀書社 1989年)の編訳であるが、原著で「淵源与内容」・「伝説故事」・「成語俗諺」などの「項目別に分けられていた構成を改めて」(本書3頁 訳者序)五十音順に人物・官職・地名・遺跡・故事、そして『三国志』に関する劇などに関する記事が配列されており、非常に分かりやすくなっている。個人的には、本書は『三国志演義』関連の事項を調べる際に最初に見る事典であり、非常に重宝している。
 付録として、おそらくは原著の内容を生かしたであろう三国志外伝や三国志故事成語、本書のために新たに作成された三国志関連地図、原著の年表を増補した三国志年表、岳飛書「前後出師の表」拓本、漢字索引がある。
 原著の「研究状況」篇や「「歴史常識」篇の一部、特に本事典によらないでも分かる事項については訳出しなかった」(本書3頁 訳者序)とのことであるが、特に「研究状況」篇については、訳されているとさらに重宝したであろうと思うと少し残念であるが、「本書が一般読者を対象としているため取らなかった」という編訳者の先生方のこの判断は妥当なのかもしれない(本書3頁 訳者序参照)。
 とはいえ、本書が『三国志演義』に興味を持つ人々にとって非常に有益なものであり、必携の一冊であると思う。

補足)
 沈伯俊・譚良嘯〔編著〕『三国演義辞典』は1993年に増訂本されている。加えて、2007年には更に修訂・増補された沈伯俊・譚良嘯〔編著〕『三国演義大辞典』(中華書局 2007年)が出版されているそうである。

おススメ度:★★★★★

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2008-05-24 20:30:00

『中国・蜀と雲南のみち 街道をゆく20』 [ 『三国志』関連書籍等紹介 ]

司馬遼太郎〔著〕『中国・蜀と雲南のみち 街道をゆく20』
  (朝日新聞社 1987年第一刷,2002年第17刷 ISBN 4-02-260190-6)

 本書は『週刊朝日』1982年3月19日号〜9月3日号に連載され、1983年に朝日新聞社より単行本として刊行されたものの文庫版である。
 著者が蜀と雲南を旅した際の旅行記の形式を取りつつ、連載当時の蜀や雲南の風俗・文化・歴史を織り交ぜて文章がまとめられている。特に、「中国・蜀のみち」の部分では「孔明と紙」・「陳寿と孔明」・「孔明の政治」・「葛巾の像」と題する章を設けて、諸葛亮・劉備・張飛をはじめとする蜀漢の人物などを取り上げておられる。
 個人的に興味深い著者の見解としては、「諸葛亮と劉備の「草廬対」は話している言語の問題を考慮すると筆談だったのではないか」という指摘(本書99〜100頁)や「漢文が極端に簡潔であるのは、一つには木簡・竹簡時代に文章語として完成してしまったから」(本書92頁)と述べられていること、さらに諸葛亮の「法治主義が人民への愛憐を基礎として」(本書119頁)おり、「法治を覆うのに大徳という自然人の体温そのものの倫理感情をもってしたため」(本書119頁)後世の蜀人や中国人一般に慕われたとされていることなどが挙げられる。
 さらに、諸葛亮が私的報復のために人を殺したりした法正を法律作成の責任者の一人に選び作業をさせ、「太守としてそれを施行させることによって、法正の無法な権力行使を制御しようとした」(本書116頁)とされている(本書114〜116頁)ことも面白い。この部分の指摘は『三国志』法正伝・伊籍伝・諸葛亮伝裴松之注に引用された郭沖の述べた話などをもとにしておられる。諸葛亮は『蜀科』と呼ばれる法律を法正・劉巴・李厳・伊籍とともに作ったとされる(『三国志』伊籍伝)が、この件を法正の私怨報復の話と結び付ける見方は、諸葛亮と法正の関係などを考える上で、重要なものの一つになると思う。
 ちなみに、郭沖の話は、法正が細かく法を整備することを重視する諸葛亮を批判して「高祖の法三章を参考にして刑罰を緩めるべきだ」と述べたのに対し、諸葛亮は「高祖の法三章はその前の秦の法が過酷であったなどの背景があったが、劉璋政権は法が守られず、勝手なふるまいが多かった」として厳格な法を作り運用した、とするものだが、この郭沖の話については引用した裴松之も疑問を持っていることに注意が必要である。
 その他にも、少数民族に対する蔑視を示す語に関するエピソードなどを記している箇所は注目に値する。1980年代前半の蜀・雲南の様子をおさえつつ、司馬遼太郎の中国・三国時代観を知ることができるという意味では、非常におススメの一冊である。

おススメ度:★★★★★

注)
ご覧になる方の環境によっては、諸葛の「葛」の字が本来の字と異なってしまうこともあるかと思いますが、ご容赦ください。